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岸田劉生 内なる美―在るということの神秘 (Art & words) |
後期印象派から北欧ルネサンス、そして東洋美術への回帰。
欧化してゆく日本の文化、芸術に危機感を覚え自発的に近代から離れ 反発し、めまぐるしくスタイルを変えながらも岸田劉生の絵には どこか静寂が満ち溢れ、瞑想的ともいえるような統一感がある。 たぶんそれが彼の言う「神秘」であり「内からの美」なのだろう。 新しい芸術を創造しようとする気概に溢れた日本の芸術家たちにとっての 明治末期から昭和初期にかけた時代は刺激的で熱く、生きがいのある時代 だったんだなぁ。。。とちょっと、うらやましくなりました。 「近代は近代のままで深いクラシックに到達しなければならない」 その言葉のままに、岸田劉生の辿った道は現代の視点から見ても画家として 怖いくらい正当だと思う。 画集なので大型本を予想していたのですが思ったよりも小さめに感じました。 (やや大きめの絵本サイズといった感じです) 掲載されている絵も平均的にコミックの表紙サイズですが、それでもやはり サイズに関係なく岸田劉生の作品にはインパクトがありますね。 基本的に左ページに絵、右ページに劉生の言葉、といった構成でまとまっています。 個人的にはとても美しい本だと思いますし、巻末の解説と年表以外は ほぼフルカラーですので、入手可能な岸田劉生の画集のなかでもこの画集は たいへん素晴らしいものだと思います。 岸田劉生に興味をもっておられる方には、ぜひお勧めさせていただきます☆ |
父 岸田劉生 (中公文庫) |
本の紹介にも書かれているように、けして娘として私情に囚われず岸田劉生という
人間を父として芸術家として客観的に捉えている文章に好感が持てました。 また劉生自身の幼少から青年期にかけての人生も、劉生の兄弟、知人などの証言を もとに書かれていますので、劉生の伝記としても読み応えがあると思います。 これだけ有名な芸術家ですから、普通だと家族の方も悪い印象を与えるような証言は 避けると思うのですが、芸術家である以上にひとりの人間としての劉生の「弱さ」、 「業」に娘として目を背けず書ききっているところは本当にすごいと思います。 |
思いがけずこんな 岸田劉生 を夢で見た・・・!
テクノ・シーンでの地位を不動のものとした岸田劉生が地下ガレージセットに収められている様子が写されている。
「同じショーは2度とない。これって、私たちにとってはすごくエキサイティングなことよ!」と語っている。
、、ってそんな話を聞いたらやっぱり思い出したのがこれっすね。
『 愛してくれているとは思います。けれども、明日、一ヶ月後、一年後、やはり今と同じように私のものになって、満足しているという証拠を見せてもらえるでしょうか?せめて今日、たった今、全く私のものであるという証拠を見せてもらえるでしょうか?私はあなたという人の、どれだけを自分のものということができるのでしょうか? 』( ダヌンチオ )
ってやつだ???
夜ごはんを食べないと、23時を過ぎお腹が空いてくる・・・
それはそうと、”デロリ”と言われると、連想ゲームではないですが「芸術新潮」経由で”岸田劉生”の名が頭をよぎります。もう2000年2月号っていうから、もう8年も前なのに記憶って怖いですね。また”デロリ”って、岸田劉生が初期肉筆浮世絵を評して生みだし ...
大阪市立美術館の佐伯祐三展と常設展の伊藤若冲
岸田劉生・佐伯祐三 (アート・ギャラリー・ジャパン 20世紀日本の美術, 岸田劉生・佐伯祐三 (アート・ギャラリー・ジャパン 20世紀日本の美術) 浅野 徹 富山 秀男. Amazonで詳しく見る by G-Tools.
【リスト】岸田劉生の作品一覧
岸田劉生きしだ りゅうせい. このページは岸田劉生作品のインデックスです。詳しい情報は下記サイトに掲載しておりますので、そちらへ遷移して閲覧ください。 → FishEyeArt 岸田劉生のページ. 『 街道(銀座風景)』 1911 (M44)頃 ブリヂストン美術館 ...
芸術の秋
岸田劉生の生き方や絵が好きになり、待ちに待った美術展です。 20080823_p8230009_2. 岸田劉生(りゅうせい)と言うと麗子像が有名ですが・・・. 20080222_nec_0001. 特に、道路と土手と塀(切通之写生)が. 力強くて、自然感が心に響いて"大好きな絵"。 ...
スタイ型紙
真っ青な空に聳える、真っ白なお城は、美しくて素敵でした(^-^)w 福山美術館では、岸田劉生の麗子十六歳の像が見られてラッキーでした^^ 岸田劉生って、教科書でもよく知られていましたが、 この画を描いた年の暮れ、38歳の若さでなくなられて ...
おおサボりの日記
土曜日に国立近代美術館と東御苑に行ってきた常設展の何点かがみたかったのだが岸田劉生の水彩画の掛け軸を見たのは初めてで新鮮な感じがした。上村荘園の青眉鉄漿は知っていたが上流商家のお内儀は子供が生まれると青眉にすることは知らなかったので ...
画家 岸田劉生の軌跡(ニューオータニ美術館)
「画家 岸田劉生の軌跡 −油彩画、装丁画、水彩画などを中心に」をニューオータニ美術館でみた。 笠間日動美術館のコレクションを中心に、油彩画、日本画、それに水彩、素描、装丁画など多彩な作品約70点によって岸田劉生(1891-1929)の幅広い活動を ...
画家 岸田劉生の軌跡-油彩画、装丁画、水彩画などを中心に [東京2008/6 ...
愛娘をモデルとして描いた「麗子像」で広く知られる岸田劉生(1891-1929)は、大正から昭和の初めにかけての日本洋画において、独創的な活動を展開した画家のひとりである。38年という短い生涯にもかかわらず、画家として極めて変化に富んだ制作を行った ...
志賀直哉と鈴木昇(我孫子尋常高等小学校教員)の交流
“小学校の先生”と志賀直哉、そして岸田劉生を結ぶドラマを直感し推理する1) 志賀直哉の『日記』(大正11年)に見る鈴木昇教員2) 鈴木昇教員に関する大正11年以前のデータを見つける-品田制子氏による『妻たちが見た「白樺派」の我孫子生活』から3) ...
岸田劉生 ― 最晩年に挑んだ東洋の美
岸田劉生 lot48《春園金雞之図》 45.5×52.8cm キャンバス・油彩 額装 1929年作落札予想価格:1000万円~1400万円 北方ルネサンス絵画に影響を受けたことがよく知られている劉生ですが、29歳の頃、中国の宋元画を鑑賞し、その魅力に目覚めたといいます。 ...